2014/08/23

KAKU Interview

KAKU
東京出身 アメリカ・ミシガン州在住のDJ/トラックメーカー 。 BUSHMINDの実兄。1990年頃からDJを始め、1997年アメリカに活動の場を移す。デトロイトの音楽シーンで活動する唯一の日本人として現地で数々のライブ、DJを行う。

BUSHMINDの実兄であり、アメリカ・ミシガン州在住のDJ/トラックメイカー・KAKUによる、2000年にデトロイトで行ったLIVE PA音源をhimcastでリリースします。
BUSHMINDのアルバム「Bright In Town」やSEMINISHUKEIのコンピレーションなどに提供した曲とは、また違ったテクノ色の強い作品となっており、ROLAND TR-808とAKAI MPC2000XLで作成されたトラック群は、時間が経った今も新鮮な響きをもって聞いてもらえると思います。

今回のリリースに合わせてKAKUにインタビューを行いました。今回の作品についてはもちろん、内側から見たデトロイトの音楽シーンに関する話まで。デトロイト信仰が未だに残っている日本では、なかなか知ることが出来ない貴重な話が読めると思います。 当時のレアなフライヤー画像、パーティー映像と共にお楽しみ下さい。

「デトロイト・テクノは一つのブランドになっていると思うんですけど、実際、デトロイトにテクノがどれだけあるのかって考えると、どうなんだろうなっていう。」

interviewer : 小野田雄

――長らくデトロイトにお住まいということですが、そもそも、どういう経緯で移住することになったんですか?

1996年に日本で知り合ったアメリカ人の女の子がもともとデトロイト出身だったんですね。その女の子経由で、僕が作ったミックステープがデトロイトのプロモーターに渡って、「アメリカに来ることがあったら、レコード持って、デトロイトに遊びに来い」と。それでそのままデトロイトに出掛けていったんです。DJをやらせてもらったのは、ステイシー・パレンがレジデントのパーティだったんですけど、その時、たまたま彼が不在だったので、いきなり、ヘッドライナーでプレイさせてもらった
という(笑)。それがきっかけでデトロイトにコネクションが出来たんですよ」

――当時、おいくつだったんですか?

「25歳ですね。当時は、若かったし、勢いもあったんでしょうね(笑)。日本で知り合った女の子の妹とデトロイトで恋に落ちて、彼女を追っかけて引っ越したんです。英語もロクに喋れなかったのに、アメリカから帰ってきて、家族に「俺、デトロイトに住むかも」って言ったら、さすがに面食らってましたね(笑)」

――はははは。では、デトロイト移住のきっかけは、音楽よりも女の子だったと。

「もちろん、デトロイト・テクノは好きでしたけどね。当時の東京は、CLUB VENUSが全盛の時期で、自分もDJはやってましたし、多摩川の河川敷とか、今はなくなってしまった六本木や青山のクラブなんかでパーティのオーガナイズもしてたんですけど、名前も知られていなかったし、うだつが上がらない感じでしたね。で、まぁ、好きな女の子も、コネクションも出来たので、後に一緒にライヴをやったりすることになるマイク・ランサムとトランスマットで働いていたケヴィン・レイノルズとのルームシェアという形で、いざ、デトロイトに引っ越してみたら、音楽誌が騒ぎ立ててたデトロイト・テクノのシーンなんて、どこにもなかったんですよ」

KAKUがアメリカ移住前に出演したイベントフライヤー

――え、どういうことですか?

「デトロイト・テクノは名前だけ先走ってて、有名どころのアーティストは基本的に現地ではなく、海外で活動しているんですよ。僕が引っ越した1998年は、毎週のようにどこかで1000人、2000人規模のイリーガルなレイヴや倉庫があったので、関係者にテープを配って、コネクションが出来たら、そこから先は芋づる式にギグが入るようになったし、結構なギャラももらっていたんですけど、今にして思えば、その時期はレイヴ・カルチャーもピークを越えていたんですよね。だから、その後はどんどん衰退していく現場に立ち会ってた感じです」

1999年にミシガン州ランシングで行われたイベントフライヤー
――何故、デトロイトのレイヴ・カルチャーは衰退していったんですか?

「一つにはカール・クレイグが始めたデトロイト・エレクトロニック・ミュージク・フェスティヴァル(D.E.M.F)ですね。2000年に第一回目が開催されて、レイヴ・カルチャーがオーバーグラウンド化したことで、デトロイトの警察が防弾チョッキにマシンガンで武装した30人くらいのSWATチームを組んで、レイヴを潰すようになったんです。僕もDJしてる時に急襲されて、死にものぐるいで逃げたのを覚えてますね(笑)」

SWATに潰されたイベントフライヤー
――アメリカのレイヴ潰しは警察がヘリを飛ばしたり、相当にイカついと現地の人に聞いたことがあります。

「そして、潰されたレイヴの代わりに、みんな、クラブへ行くようになるんですけど、そのなかでも1996年にオープンしたモーター・ラウンジっていうデカいクラブが東京におけるイエローみたいな存在として機能していくんです。あとはゲイバーのワークスとか、汚いけど、サウンドシステムはデトロイトで一番良かったポーター・ストリートとか。そういうちっちゃいクラブもちょこちょこあったんですけど、デトロイトは法律で2時以降にお酒が出せないので店を締めるか、4時とか5時まで営業出来るレストランのライセンスを取って、暗号を言って、酒を出すスタイルですね(笑)。その後、モー
ター・ラウンジが閉店して、僕がヘッド・シェフで働いていたオスロという店に流れてきたんです。そこは上が寿司バーで、下がクラブっていう作りになっていて、2005年に弟のタカアキ(BUSHMIND)が訪ねてきた時はバータイムに天ぷらを揚げて、クラブタイムにはクロークとして3ヶ月間働きつつ、色んなDJに混じって、DJをやってもらったりしましたね」

当時のオスロのマンスリーフライヤー

――当時、人気があったDJは?

「あまり日本では知られてないですけど、当時カリスマ的だったのはインナーシティのツアーDJやデリック・メイとのユニット、R-タイムとしても活動していたD-ウィン。それからシカゴのDJ TRAXX。彼はターンテーブルを4台使ったプレイがヤバかったですね。あと、自分はあまり好きではなかったけど、ニューヨークからちょこちょこ来てたアダム・Xとかフランキー・ボーンズは白人のキッズたちに人気がありましたし、一部の取り巻きに神格化されていたリッチー・ホーティンなんかもそうですね。」


若き日のリッチーホーティンのミックス

――日本では90年代後半あたりからムーディーマンセオ・パリッシュの人気が高まっていったんですけど、現地ではいかがでした?

「ケニー(・ディクソン・Jr)は、たまにDJをやると人が集まるんだけど、クルーのマルセラス(・ピットマン)リック・ウィルハイトと一緒にいて、あんまり街に出てこないんですよ。セオもそう。最初に聴いた時はテクノとディープハウスの間をいくようなプレイですごいフレッシュだったのはよく覚えているんだけど、彼もデトロイトではほとんどDJをやってないんですよね」


デトロイトでは見る機会が少ないムーディーマンのDJ

――こうして話を聞くと、当時、日本のメディアで紹介されていたデトロイト・シーンの情報はバイアスがかかっていたのかな、と。

「絶対違うと思いますよ。デトロイト・テクノは一つのブランドになっていると思うんですけど、実際、デトロイトにテクノがどれだけあるのかって考えると、どうなんだろうなっていう。もちろん、今も住んでるアーティストもいますけど、お金にならないからか、デトロイトではあまり活動してないんですよね。URもそう。メキシカンのDJロランドがメキシコの民族音楽をキーボードで引いて作った「Jaguar」はヒットしましたけど、マイク・バンクスは俺に「ロランドと同じ方法で、和の要素を取り入れたトラックを作れ」って、ずっと言ってて。でも、そんなのやりたくないでしょ(笑)」


民族音楽を取り入れたDJ RolandのJaguar 

――URとも親交があったんですね?

「そうですね。URとはアーティスト契約のサインをして、その一員だった時期もあるんですけど指図されて曲なんか作れないので、何もリリースせずに去りましたね。まぁ、成功したら、みんな、デトロイトを出ていっちゃうし、基本的に僕は一匹狼ですよね。もちろん、仲いい友達もいるんですけど、色んな人とコミュニケーションを取りながら、自分なりに道を切り開いていった感じですね」

KAKUが出演したイベントフライヤーの一部

――音楽制作はいつから始めたんですか?

「一応、日本にいた時から取り組んでいたんですけど、当時はちゃんとした形になっていなかったんですよ。でも、デトロイトに住むようになってから、DJより曲を作らなきゃと思っていたので、パーティに通いつつ、平日は仕事から帰ってきたら、家に籠もって、音楽制作の日々ですよ。今回の作品は、音源自体、2000年のライヴなんですけど、その元となるトラックは、MPC2000XLとローランドのTR-808を使って作った音を色んなエフェクターで加工したもので、そこにはデトロイト移住直後に作った曲も含まれているんです」

――プリセット音源ではなく、エフェクターで加工しまくった独自な鳴りや質感の音を追求していた、と。

「2000年頃、ライヴをやってた時も「TR-808とギターのエフェクターを使ってライヴやるやつがいる!」って言われてたんですよね。どうやら、デトロイトの人たちの間でも、当時、使ってたギター・エフェクターのフット・ペダルは印象的だったというか、機材のセッティングを見ても、「これは何だ?」って、誰にも理解されませんでしたからね(笑)」

――録音から15年近く経った今回の作品が新鮮に響くのは、その独自な音の加工方法に
秘密があるのかもしれないですね。

「どうなんでしょうね。ただ、こないだ会った友人のルーク・ヘスも「作品はハードで作って、コンピューターで仕上げるし、ライヴでは逆にコンピューターでやるけど、音のアウトプットはハードを通す」と、ハードを使うことの重要性を力説していましたね。もっとも、ライヴをやることを考えたら、ラップトップの方が断然楽でいいですよ。だって、この時期のライヴは毎回引っ越しするかのような、自分の車がいっぱいになるくらいの機材の量でしたからね。しかも、配線を一箇所間違えただけでも音が出なくなるし、「今日のライヴ、なんか変だったなー」って、後から確認してみたら、繋ぎ方を間違えてたりね(笑)。そういったこともあって、その後のライヴでは機材を減らしていく方向に向かっていきましたね」


Trus'me - I Want You (Luke Hess Remix)

――今回の音源は1曲ずつの尺が短いですよね。そこにはどういう意図があったんですか?

「なんで、そうなったかというと、それ以前にやってたライヴが実験的すぎて、フロアを踊らせられなかったんですね。だから、フロアを飽きさせないために、ラテンのリズムを使ったり、ジャジーなタッチを加えつつ、テンポ良く、尺の短い曲でどんどん攻めていこうと、フロアのリアクションを見ながら、その場で短くしていったんです」

――ちなみに、KAKUくんの作品が日本で初めて紹介されたのは、2007年にリリースされたBUSHMINDのファースト・アルバム『BRIGHT IN TOWN』ですよね。コンピレーションの体裁を取っていた、この作品には「BELLE ISLE SOUL」、「BIG BEN」というソロ2曲、MCのフィナーレとインヴィジブルをフィーチャーした「SHOWDOWN」、そして、マイク・クラークがラップしているブラザー・Dの「CORKTOWN INN」という2曲は提供していますが、いずれもテクノではなく、ソウル、ヒップホップに傾倒した作品になっています。2000年以降、音楽性はどう変化していったんですか?

「『BRIGHT IN TOWN』に収録された曲は、2003年頃に作ったものなんですけど、2000年以降、デトロイトからレイヴやテクノがなくなって、音楽シーンが死にかけていくなかで、僕もそうだし、みんながその次を模索していったんですね。その一方で、当時はピープルズ・レコーズっていうレコード・ショップのオーナーがやってたパーティ「FUNK NIGHT」に人気が集まっていたり、新しく出てきたアイロ(ジェレミー・エリス)がMPCを使った生ライヴをやったり、はたまた、J・ディラの評価がぐっと上がっていったり、ファンクやヒップホップの高まりがデトロイトにはあって。よく覚えているのは、フェスティヴァルで見たスラム・ヴィレッジのライヴですね。ターンテーブルで参加したDJデズ(アンドレスとしてムーディーマンのレーベル、KDJより作品デビュー)が延々と4つ打ちをかけていたんですよ」

スラムビレッジとDJデズのライブ

――ダンス・ミュージックとヒップホップがクロスオーバーしたんですね。

「そう。『BRIGHT IN TOWN』に提供した曲はそういう流れのなかで生まれたものなんですよ。当時はいいレコードがある危ないゲットーまで、車で2時間くらいかけて出掛けていって、レコード・ショップの裏の倉庫までファンクとかディスコを掘ったりしてましたね。ただ、ここ最近、またシーンにテクノが戻ってきてるじゃないですか? だから、今まで見かけなかったやつら、例えば、ダニエル・ベルとか、そういうDJがヨーロッパとか、アメリカの他の街から来るようになって、パーティによってはすごい人が集まるようになっているし、若い子たちの間では、ハードを使った作品が新鮮に感じるみたいなんですね。今回、2000年の作品が14年越しに世に出るのは、自分としては不思議な感じもあるんですけど、今の時代に何かしら響くものがあるといいなと思います」

2001年デトロイトのモーターラウンジで行われたKAKUのライブ


KAKU / LIVE AT DETROIT 2000
format: CD
style: Techno
price: 1,200yen(w/tax)
2014/8/27 on sale

all track produced by KAKU
mastering: Mosu Mamimune
artwork: watanabe kenichiro
released by himcast

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